1134. 変化・時間・経験・環境
今朝、カントの“Critique of Pure Reason (1781)”を音読していると、いくつかの箇所で少しばかり立ち止まった。一つは時間に関する箇所であり、もう一つは変化に関する箇所であった。 特に、変化の箇所に差し掛かった時、音読するのを少し止めてあれこれと考え...
1132. 科学的探究と哲学的探究
ここ数日前から突如として、朝の習慣的な実践として行っていた文章の筆写が音読に変わり始めた。カントの“Critique of Pure Reason (1781)”を無心で筆写している時に、その古風な英語を手書きで写すよりも、そこで展開される言葉を自分の口から外に出してみたい...
1116. 井筒俊彦の『コーラン』の読みから
昨日の夕方、その日の仕事を全て終えた私は、久しぶりに井筒俊彦先生の全集を手に取った。慶應義塾大学出版会から刊行された全集の第11巻「意味の構造」を何気なく開き始めた。 「碩学」というのは、井筒先生のような方のことを言うのだと改めて思った。初めて井筒先生の仕事に触れたのは、私...
1104. 新たな知的植民地政策の脅威:MOOC
春をひとっ飛びにし、夏がやってきたかのような土曜日だった。早朝から雲ひとつない青空が広がり、五時半に起床した時にはすでに辺りが明るかった。 午前中から、夏を彷彿させるような日差しが辺りに降り注ぎ、しかしそれでいて涼しい風が流れていた。そのような土曜日の朝、私はカントの...
1090. 偶然の内側
薄黄色の太陽光が寝室に降り注ぐ。今日は五時半に起床し、早朝から素晴らしい空を拝むことができた。 曇りがちの冬の時代を抜け出し、フローニンゲンも晴天の日がこれから続くようだ。今週一週間は雨の日はないということが、天気予報から分かっている。...
1063. 埴谷雄高著『死霊』
そこにあったのは興奮だった。不気味な興奮が背筋を駆け上っていったのは、これが初めての経験かもしれない。 そのような出来事に本日見舞われた。今日は今朝から論文を執筆していた。 早朝に、カントの “Critique of Pure Reason...
1057. 筆写と投影
昨日から突如として、書籍や論文、そしてノートに書き込むメモの量が増えた。特に、書籍の余白やノートに書き込む際のメモの形態が、単純な文章の形ではなく、図表などの視覚的な形に変化し始めた。 これは自分が後からメモを読み返す際に、図表の形で残っている方が直感的に理解しやすいという...
1049. 言語の彫琢と精神の陶冶へ向けて
今日は早朝から、様々な哲学書を横断的に読み進めていた。一冊の書籍を隅から隅まで読み進めるというよりも、その瞬間に立ち止まらざるをえない箇所を精読するというような態度でそれらの書籍と向き合っていた。 カント、フィヒテ、シェリングの順番に彼らの代表的な書籍を歩いて行った。特に、...
1033. 小さいことから総体へ
相変わらず寒い日が続いている。五月も第二週目に入ろうとしているが、朝夕の気温は依然として低い。 昨日は日中も特に寒く感じられ、真冬の時と同じ温度設定ではないが、暖房をつけていた。就寝に関しても、湯たんぽを用いてお腹と足元を温めながら寝る日々が続く。...
1002. 問いが問いを生み、問いが問いを解決することについて
今日の午前中は、計画とは随分と異なる形で進んだ。午前中にジル・ドゥルーズの“Difference and Repetition (1968)”を一章読んだ後、カントの“Critique of Judgment (1790)”の中で、今の自分の関心に最も合致する箇所を中心に再...