——創作のためには努力を怠らない。それは自分自身への挑戦でもある。そして人生は全てを達成するには余りにも短すぎる——ニッサン・インゲル
渡欧の日までいよいよ2週間を切った。「時」というものの正体を考えざるをえないほど、この一ヶ月は早く過ぎ去ったし、遅く過ぎ去った。
そのような不思議な時間感覚に包まれながら、昨日、コラージュ画の世界的巨匠であるニッサン・インゲル画伯の訪日祝賀会に参加してきた。インゲル先生の5年振りの来日であり、現在85歳になられる先生のご年齢を考えると、もしかしたら今回が最後の日本訪問になるかもしれないということを聞き、今回の祝賀会に参加できたことをとても幸運に思う。
インゲル先生の作品との出会いは、昨年のことであった。銀座の街を散歩している最中に偶然立ち寄ったギャラリーで、インゲル先生の作品と出会ったのだ。
ギャラリーの中には他の画家の作品がいくつも展示されていたが、インゲル先生の作品だけ別種の光をまとっていたのを覚えている。ピカソやカンディンスキーから多大な影響を受けた先生の作品は、非常に抽象的である。抽象画を好む傾向にある私にとって、インゲル先生の作品は私を惹きつけてやまないものがあるのだ。
抽象的な特徴に加え、何より私を捉えたのは、作品に込められた先生の思想である。言い換えると、先生の作品で表現される精神性の高さに魅了されたということだろう。
インゲル先生が用いる代表的な構図は、作品を下部と上部に分けるのだ。作品の下部は、暗く重厚な雰囲気と物質的・肉体的な質感を表現している。つまり、現実世界や人間の中にある闇の側面を表現しているのだ。
一方、上部は明るく啓蒙的な雰囲気と精神的な質感を表現している。要するに、この世や人間の中にある光の側面を具現化させているのだ。私は先生のこの構図に、発達構造とリアリティの縮図を見出したのである。
こうした構図に加えて、先生の作品は実に音楽的なのである。音楽的というよりも、絵画から間違いなく音楽が聴こえてくると言っても過言ではないかもしれない。
実際に、先生の作品のほとんどには、パリのノミの市で見つけた古い楽譜がコラージュとして用いられている。幼少期からフルートを習っていた先生は「音楽は私にとって、絵画の伴奏的役割を果たすのです。
また、音楽は人生そのものです。音楽は喜び、悲しみ、そして痛みを表現し、いつも人々の人生に寄り添っているのです」という言葉を残しているぐらい音楽をこよなく愛し、音楽から得られた霊感を作品に体現させている。
自宅に飾ってある先生の作品を眺めるたびに、先生の精神性の高さと作品で表現されている数々の特徴が相乗効果を生み出し、私の霊感を呼び起こしてくれていることをいつも強く感じる。芸術作品が精神を変容させ、癒しをもたらすというのはこういうことなのかと初めて思わせてくれたのが、インゲル先生の作品であった。
現在、東京都京橋にあるブリジストン美術館は改築中ということであるが、インゲル先生の作品もこの美術館に所蔵されていると聞く。いつか日本に一時帰国した際には、所蔵されているヴァン・ゴッホの「モンマルトルの風車」、クロード・モネの「黄昏、ヴェネチア」と合わせて、インゲル先生の作品をリニューアル後のブリジストン美術館で鑑賞したいと思う。
イスラエルで生まれ、エルサレムの美術学校を卒業してからパリに移住されたインゲル先生。その後、ニューヨークに10年間ほど滞在し、現在は再びパリを拠点に芸術活動に励んでおられる生涯現役の先生の生き方に、自分の歩みをどうしても重ねてしまうのだ。
今年は、森有正先生や辻邦生先生を含め、自分の霊感を震撼させ、呼び醒ましてくれるような先人に出会えたことが、自分にとって何よりかけがえのないことであった。
それら偉人が残した哲学書・文学書・絵画を携えて、オランダへ飛び立ちたいと思う。「ようやく準備ができたみたいだね」と自分を超えた何かが自分に対して語りかけてくる。「そうだと思う」と私は静かに、そして決して冷めることのない熱情を持って答えた。